その宿はかなり古かった。いや、そのこと自体は良いのだ。真新しくてピカピカしている代わりに上滑りしそうな、落ち着きのない宿よりはずっと良い。宿は心も体も休める場所であるべきだ。そういう意味では古城を改装して作ったホテルは良い。長い年月をかけて蓄積されてきたものが人間の心に寄り添ってくれる。
宿の名前?確か…ダイヤモンド・ホテルと言ったと思うよ。いや、待て、違ったかもしれない。だが、とにかく、そんな感じの名前だった。高価な宝石のね。だから今は便宜的にダイヤモンド・ホテルとしておこう。とにかく良いホテルだった。外観も内装も、サービスも。これからも何度も行きたいと思った程だ。本当に良いホテルだったよ。これだけはしっかり書いておいてくれ。だが、あんな事が起きるとはね。あの事件、いや事故か、どちらでも同じことだが。あの男が死んだことで、全部がおかしくなってしまった気がするよ。
あのホテルは古城を改装したものだ。内装もそれに合わせてあるし、前の持ち主が残していった中世の甲冑なんかも全部置いてある。まさか、飾り物の甲冑の剣で人が死ぬなんて思わないじゃないか、普通はね。でも実際に起きてしまった。あのホテルで。あの素晴らしいホテルで。しかも死んだのはホテルの支配人だったなんて。悲劇だよ、これはまさにね。
警察?来たよ。当たり前じゃないか。死人が出たのだからね。でも、結局、自殺で決着がついたね。新聞には遺書があったからとか出ていたな。それについては詳しく聞いてないけど。しかし、なぜ事業も順調な彼が死ななければならなかったんだろうね。それが今でも謎だよ。剣?うん、遺体の腹には廊下に展示されていた甲冑の剣が刺さっていたって聞いたよ。記憶違い?そんな筈はないよ、だって確かにそう聞いて…え?い、いや、それは…そう聞いたんだよ。誰から聞いたかなんて、そんな、たぶん、ロビーにいた時に噂話をちょっと小耳に挟んだと言うか…ちょっと待て!何なんだ君は!人を犯人扱いするなんて無礼にも程が…っ…ま、まさか…そんな、そんな話は嘘だ、信じないぞ。だ、誰か客が来たようだ、君、帰ってくれないか。おい!誰かこの男を追い出すんだ!客を通せ!何?ロンドン警視庁?なんで、そんなのが…だから何度も言わせるな、噂で聞いたんだよ!とにかく早く帰れ!おい、警察が何のようだ!?ダイヤモンドバック・ホテルでの殺人事件?し、知らないぞ、何も知らん!話すことはない!追い返せ!あの男は自殺したろう!部屋だって密室にして…あ、あ、いや!知らん!知らん、何も知らんぞ!くそ、離せ!弁護士を呼べ、弁護士を!やめろ、俺は悪くないんだ!




ヴァロッサホテルの大株主ジェイコブ・オルロンが5日、ロンドン警視庁によって、ダイヤモンドバック・ホテル支配人アダムス・チェイス氏殺害の容疑で逮捕された…。




「いや、助かったよ、エヴァンズ君」
「お役に立てて何よりです、スミス支配人」

エヴァンズと呼ばれた青年は、初老の男性の謝辞を特に構えるでもなく受け入れた。

「オルロン氏には些か手を焼いていたのでね、君が彼の犯行を立証してくれて助かった。これでダイヤモンドバック・ホテル・グループとヴァロッサホテル・グループの合併が上手く行きそうだよ。他の株主も喜んでくれているし、本当に恩に着るよ」






西雲東花別館(閉鎖)/選択式題/自由選択1/「ヴァロッサホテルの悲喜劇」
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