この世界は二種類の人間に分けられる、という有名な話を思い出した。酒を飲む人間と、飲まない人間。神を信じる人間と、信じない人間。あるいは多足類が苦手な人間と、足のない生き物が苦手な人間。だが、今度の場合はそのいずれでもない様だった。金銭だけに興味のある人間と、金銭以外を重視する人間。実に未来永劫まで通用する区別だ、と私は納得した。

「冗談じゃない!なぜアンタ達が出しゃばってくるんだよ!」
「親権はこちらにあります。そちらこそお引取りなさいませ」

私の隣の大きな椅子に座っている小さな少女を前に信じられない程に醜い遣り取りをしている数人を見ながら、逃げ出すこともできずに私は心の中で溜息をつく。はっきり言って迷惑だし、彼らの全員を満足させることなど不可能だ。できることと言えば法律に則った解釈をすることだけ。いつまでもこの一件だけに関わり合っていることもできない。それにしても、大人たちの醜い争いを前にしても少女は微動だにしない。彼女の方が余程立派だと思う。あるいは彼女がすべてを知っているからかもしれない。私はチラリと彼女を見る。その時、彼女もこちらを見て、それから小さく笑った。

「大叔父様、大伯母様。それから又従兄のクリス様」

玲瓏たる美声が紅の口唇から零れ落ちた。実に音楽的な響きがある。ただし、響きが美しいこととその響きに温かさが込められることは別だ。少女の言葉には真冬の氷嵐を思わせる程の冷たさがあった。

「わたくしの為に言い争いをなさることはありませんわ」
「いや、しかしジュリエット…」
「だって、父の遺産はないんですもの」

少女の言葉は劇的な沈黙を呼んだ。

「…何を言ってるの?」
「ジュリエット、冗談は止せよ。君の父上は、そのぅ、綿織物の取引で随分」

ジュリエットと呼ばれた少女はニッコリと笑って私を見た。その青い双眸には機知と悪戯心に富んだ煌きが宿っていた。私は黙って書類を取り出した。男爵が最後に託してきた書類だ。その筆跡は特徴があり、偽造は難しい。出るところに出ても、少女の不利になることはまずありえない。

「そうですわよね?デンチ先生」
「まあ…そうですね」

果たして、私はどこまで話すべきだろうか。だが、事実は事実として伝えなければなるまい。それが顧問弁護士としての仕事だ。

「ジュリエット嬢の父上…ジェイムズ卿はすでに破産なさっています」

再び劇的な、その場の雰囲気がひび割れる様な沈黙が落ちてきた。先程まで唾を飛ばして舌戦を繰り広げていた大人たちが軒並み沈黙している。如何に彼らが不純な目的を持ってこの場にやって来たかが露呈した形になったが、そこまでは頭が回らないのだろう。長い沈黙。やがて一番恰幅のいい男が腰を上げた。大叔父のアンドリュー卿だ。彼もまた、経営する農場が傾いてきているらしい。

「破産?…この城を買って毎夜パーティーを開いていたジェイムズが…破産?」
「そうですね」

私は嘘は言ってない。

「ジェイムズ卿は破産なさって、残っているのは借金だけです」
「ですから、皆様の期待には添えませんの」

ほとんど悲鳴の様な声をあげて針金の様な女性が立ち上がった。大伯母のエリス夫人だ。彼女の夫も相場で失敗して借金を抱えている。ジュリエットの身元引受人になることと引き換えに、ジェイムズ卿の遺産で穴埋めをするつもりだったのだろう。私は他の人間の顔を見回す。皆、それぞれに赤くなったり青くなったりしている。卿が亡くなるまでは顔を見せなかった遠い親戚たち。彼らは全員が何某かの金銭的苦境を抱えて押し寄せてきたのだろう。少なくとも私の目にはそう映っている。
ふいに、一番遠くに座っていた若者が席を立った。クリスティアンという名の社交界でも有名な美青年は露骨に顔を歪めていた。

「まるで僕らが卿の遺産目当てで君の保護者に名乗り出たみたいな扱われ方だね」
「あら?違いましたの?」
「…不愉快だ、帰る!」
「どうぞご自由に。コートは執事にお申し付けくださいませ」

少女は容赦しなかったし、私も止めなかった。同じ男として顔だけで食い繋ぐ様な男を助けてやる筋合いはない。顔を真っ赤にした青年が踵を返すと、それまで体面や外聞に囚われて動くに動けなかった親族たちが一斉に立ち上がった。口々に、失礼だ、とか、不愉快だ、とか、あるいは、用事が、時間が、と言うものまでいたが、何のことはない。あっという間に大広間は無人になってしまった。

「皆様、帰ってしまわれたわね」
「そうですね」
「さ、これで面倒事は終わりましたわね、デンチ先生」

後始末をメイドに命じて、少女はゆっくりとティーカップに手を伸ばした。私は遺産相続に必要な手続きについて彼女に説明しながら、手の平を返した大人たちの馬鹿さ加減に呆れて言葉もなかった。確かに私が言ったことは本当だ。ジェイムズ卿は破産して、借金まで残した。私たちは嘘はつかない。ただし、真実を全て話したかと問われたら、答えはNOだ。

「結局、どれ程のものがわたくしに残りますの?」
「そうですね、卿の借金を夫人の残された遺産の一部で補填しても…一生涯不自由なく暮らせるくらいには残りますよ」

ジェイムズ卿は確かに破産しているが、その一週間前になくなった夫人の遺産だけでも相当の額があることを、少女は知っていて、親戚たちは誰も知らない。








西雲東花別館(閉鎖)/選択式題/自由選択1/「彼女はすべてを知っている」
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